What's 1996-04 [日記擬き1996年04月号]
 雑記
雑記
	- 姫路駅周辺に、なにかレールの残骸なるものがあることに
		以前からどうも気になっていた。「姫路モノレール」。新聞記事を
		読んで、初めて知った。どうやら、私が生まれて数年した頃に
		廃止になっていたらしい。しかし、そのレールが今まで残っているとは‥‥。
	
- 散髪したら、人に会うたびに何かものを言われる。
		滅多なイメージ・チェンジはだめか、ということだろうか。
	
- 4月に新たにできあがった、3号館を見に行く。地下のおくつろぎ空間が
		たいへん気に入った。ちょっと暗いけど、喫茶店みたいな感じだ。
		コーヒーかミックスジュースでも出てきたら、もっといいのに。
	
- 
		海本氏のホームページが復活していたのは先日から聞いていたけれども、
		実際に見にいったのは今日がはじめてであった。
		
		日記が時間帯によって読めたり読めなかったりするのはどうして?
	
- 寒い日が続いていましたけれど、日曜日にきれいに桜が咲いて
		よかったです。夜になってから雨が降ったので、ぼつぼつだめになったかも
		しれませんね。
	
- 
		バスの時刻表を新しくした。どうでもいいんだけど。
		いったいどのくらい参照されているのだろう。
		龍大ホームページにリンクされているのならともかく、
		1研究室の1学生のベージに時刻表なんかあったって‥‥。
	
- 研究のページをすぐにでもしっかりとしたものにしたいのだけれど、
		どうも、まとまらない。せめて、研究のページで今までの成果を
		紙芝居的にでいいので見てもらえるようにしたいものだ。
	
- ある友人から、ここの記事に日付を入れたほうがいいといったことを
		いわれました。しかし、思い立ったらすぐに書くわけでもないし、
		実にいい加減です。だから、日記じゃないんですね(いいわけ)。
		数日前の出来事にも、「きょうは」なんて平気で書いたりします。
	
- 就職活動はいっこうに進まない。今さらという気がしないでもないが
		「遅くともやらぬよりまし」。Web で資料請求をする。
		あと、先生のところにも相談に行く。「これじゃあ甘いわ。どこも
		雇ってくれへんで」。履歴書がまともに書けない。みなさんは
		どれだけの自己分析をやっておられるのでしょう。
		なんにしても、努力不足を感じます。
	
- 卒業した先輩に頼まれて、バイトへ行く。互換機20台にWin95とUNIXを
		インストールするというもの。それにしても、Win95って‥‥。
		まずインストールしようとしたら途中で止まった。どうもSCSIボードのせい。
		SCSI抜いて再インストール。SCSIさしてSCSIの設定、画面の設定、
		音源の設定、ビデオキャプチャボードの設定、3モードFDの設定、
		ネットワークボードの設定‥‥‥‥。全然親切じゃない。
		これを10台くらいやったので、1日にして100回くらいオープニングの
		音を聞いたような気がする。
	
- バイトが終わってから、先輩と飲みにいった。かなり上品な感じの店で、
		雰囲気にはたいへん満足した。多少高くついたかな? でも、よかった。
		また、同じようなところへ雰囲気を楽しみに行きたいと思った。
		大学周辺には、あまりいい店がないのが残念だ。なかなか、大阪などで
		飲み会を計画しても、みんなが乗ってこないからつらい。
	
- 大学の駐輪場のところに桜の木が植わっているのですが、
		やっと満開になりました。龍大桜満開記念といたしまして、
		研究室のなかの 7人でお花見をしました。がおー。
	
- 
		時刻表サービスの表示部分を変更しました。どうも、変更してから
		漢字コードを誤判定されることが多くなったような気が‥‥。
		どうしたものか。はて。
	
- と、それはさておき、飲み会へ行ってきました。
		お酒は時々飲んでいるけれど、カラオケなどへ行ってうたをうたったのは
		久しぶりでした。
	
- ところで、海本氏はどれだけ飲み会に
		行ってるんでしょう。彼のページをちょっと見ただけでも、
		ここ数日の間に 3回も行っているように見えます。
	
- サークル時分の卒業した連中と‥‥と、いってもひとりだけかぁ。
		みんな大学院へ進学したんだなぁ(苦笑)。
	
- 
		海本氏のページの感想。
		
		テラビットページのタイトル・イメージが、かつての悪夢を呼び
		覚まさせてしまったといった感じか。ところで、ここには私のページも
		リンクされていて、
		そこの 4段階評価でいちばんいいところをもらっていることには、
		うれしく思います。某怪奇おはよう先輩のところが、「うひょ〜」
		となっていますが、ずいぶん昔のお話ですね。復活はいつ?
	
- アクセスログファイルを見ると、
		
		バスの時刻表が結構人気!?‥‥毎度アクセスいただき
		ありがとうございます。
		ご要望がありましたら、お気軽にメールください。
		電車の接続時刻を表示するプログラムを、研究室内で
		試験運用中ですが、見にくいのがいけないのか、こちらは不評。
 [特集]DEMO'95
[特集]DEMO'95
	- これまでの研究の成果を発表するために、東京へ行くことになった。
		もちろん、研究がきちんとできているのであれば、楽しい東京旅行にでも
		なるかもしれないが、「そんなわけない」。現実はきびしく、
		思った通りの結果がそう簡単に出るはずもなかった。
	
- 出発前夜。日曜日。日曜日くらいは家でゆっくりしていたい? という
		わがままも通るはずもなく、学校へ。
		だって、全然発表の用意できてないんだから。
	
- 出発はデモの前日からなのでは、昼からゆっくり出かければよいだろうと
		聞いていたが、突然、昼に東京に着かないといけないことを聞いた。
		切符とってしまってた。
		慌てて全員分の新幹線の切符の変更に駅へ走るが、世間は春休み。
		6人分もとれるわけがない。どれも満席。
	
- 夜が遅くなるに連れて、焦りも増してきた。最後の実験もまとまらない。
		雨も降ってた。もぅ、泣きたい気分。それでも、最終調整した?
		ハードディスクを紙袋に詰めて、翌日に向けて最終の快速で家へ向かった。
	
	 
- 出発当日。切符がないからといって東京までの 3時間を立たされたのでは
		たまらない。6時起床。駅でもう一度聞いてみるが、
		駅員いわくところは「のぞみならあります」。高いからやだ。
		新大阪で列車発車の40分前からホームに並んで待った。
		しかし待っていたのは私一人。ほんまに満席なんかいな‥‥。
	
- 比較的に列車は空いたまま発車。京都で他の連中と合流するが、
		同じ場所に席をとれたのでよかった。しかし、こんなところで
		雑談なんかして体力消耗していいのかぁ? 着いてから、大騒ぎやで。
	
- 到着後、目的のデモ会場行くが、
		まだ送った計算機などの荷物が届いていなかった。
		取り合えず昼食。安い店を見つけた。運を使い果たしてしまいませんように。
	
- 荷物到着、開梱してデモができるように準備。他のグループは、
		「デモができるように」用意をしていたが、私らはデモの中味を
		現場に到着してからもまだ作っていた。
	
- 午後 6時、門が閉まるから今日はこれで、というところを、なんとか主催者の
		方に頼み込んで、10時まで作業をさせてもらった。 7時ごろまではまだ
		人も多かったが、 8時を回るとうちのグループだけとなった。
		「調子がわるいんですか? それともこれからなにかつくるとか‥‥?」
		どうかそれだけは勘弁してください。
		でも、わざわざ待っていただいて、ほんとに
		ご迷惑をおかけしました。
		だから、そのときはとっさに半分半分です、
		といういい加減な返事をしてしまった。
	
- 夜は、ホテルはばらばらだったので、一旦散っていった。私は
		デモの中心人物ではなかったので、疲れもあって、よく眠れてしまいました。
		先輩、ごめんなさい。
	
	 
- デモ当日。午前 8時から作業の続き。でも、デモをする計算機を 1台
		持ってきているだけだったので、作業ができるのは 1っぺんに 1人だけ。
		作業がのろい私は、後ろの方で見てるだけ。ほかに何もできないからつらい。
	
- 午前10時、開会のあいさつ? があり、統括としての先生のお話が始まった。
		デモは昼からすぐ。私は先生の話を聞いていました。 1台の計算機のまわりに
		 5人も 6人も取り囲んでいても、
		かえって作業がはかどらないような気がした。
	
- いよいよデモの番。緊張の一瞬。先生が前でしゃべって、それにあわせて
		操作した計算機のディスプレイを、大型のスクリーンに映し出す方式。
		先生のしゃべりでカバーしてもらえたといった感じ。でも、なんとか
		その場をうまく過ごすことができました。
	
- ところで、デモの私の担当のところを何も書いていなかったけれども、
		これは手書きのメモから、文字が書かれている領域を計算機がかってに
		切り抜いてくると言った内容。なんとか、予備実験した手書きの原稿を
		スキャナーに乗せて、なんとか文字列矩形を取り出すことができました。
		これが、同じ研究室の別の人の処理へ渡されて、続いていきます。
	
- デモ終了後ある方から、手書き文字を計算機に食わせようと
		言ったところがおもしろいと言っていただき、たいへんうれしく思った。
		もともとは、私は中心軸についていつも考えているけれども、
		これを手書きのメモの行(=軸)を取り出すのに役立たせるということは、
		たいへん単純なことであるけれど、やってみるとおもしろい。
		このネタは、実はデモの報告書に書いたのが初めてなので、
		この文章を書いたら、研究会用の原稿書きます(笑)。
	
- 夕食は、デモ会場でパーティーのようなものが催されたので、
		それに参加して、軽くお酒を飲んで、テーブルにある食べ物を
		少しだけいただいて、デモ会場をそっと去ることにした。
	
	 
- 宿に着けば、みんなはその場でひっくり返っているといった感じだった。
		そのまま眠ってしまってもよかったのであるが、どうも体が銭湯に
		いきたくて仕方がないといった感じだった。
		宿にはユニット・バスなるものが
		ついてはいたものの、トイレといっしょというのがどうも気がすすまない。
		気の向くままに、道を歩きながらまずは捜すことにした。
	
- 道を歩けば、さすが東京といった気がした。なんとなくだが華やかである。
		道の両脇には、さまざまな食事をするところ、パチンコ、本屋、
		ゲームセンター、衣装屋、屋台、神社、その他がなんでもがあるといった
		感じで、大阪近郊ではあまり見られない風景だった。しかし、
		銭湯だけはみつからない。どうもちょっと銭湯は違うだろう
		といわれても、仕方がないのかもしれない。
	
- にぎやかなところから、少し中へ入ることにした。いったん
		裏通りに入れば、静かなものである。しかし、こんどは静かすぎて、
		不思議な感じがした。そのうちに、何本か通りを入りながら
		いるうちに、ようやく一件の銭湯を見つけた。そこは、京都にも
		ありそうな、銭湯の横が八百屋でなどといった、馴染みのありそうな
		感じの筋であった。
	
- もともと地図などは持っていなかったので、見つかったときには嬉しかった。
		いったん宿に戻ると同学年であるI氏を誘い、さっそくその銭湯へと向かった。
		銭湯でしばらく、常連であろうと思われる人と取り留めもない話をして、
		時は流れていった。帰りは、しばらく付近の町並みを楽しんだあと、
		もと来た宿への暗い道のりを戻った。
	
- 宿へ戻ると、そのまま眠ってしまった。別で先輩の家に連中から
		電話があったらしいが、そのことにも全く気づくことすらなかった。
		目が覚めたら朝。あとは帰るのみ?であった。
	
	 
- 最終日は1日遊んでから帰る予定で、取りあえず午前のうちに、
		秋葉原のパーツ屋?をまわった。あいかわらず、
		電子工作をするではないのだけれども、ああいった部品を眺めていると
		うれしくなる。なぜだろう。
	
- あとは、パソコン屋?を回った。連れのM氏が安いSIMMを買う。
		うちのパソコンは98互換機。今さら‥‥といった感じ。
		買い替えたほうがいいのかなぁ‥‥。そのほうが安いんだろうなぁ。
	
- 午後からは、浅草、アメ横、新宿などをまわった。
		浅草のところのお寺? のまわりのお店の集まりは、どうも華やかで、
		京都ではまったくありえない雰囲気なので、なんとなく落ち着かなかった。
		新宿の都庁のビルには驚いた。大阪では、どんな大きなビルの近くにも、
		民家があるけれども、向こうはビルばかりであった。ずっといたら、
		疲れてしまいそうな気がした。やっぱり、これはいなかもんだから?
	
- 夜はまた、行きと同じで新幹線で帰った。別の研究室の連れは、
		ムーンライトながらかなにかで半日かけて帰ったらしい。
		京都についても、あまり帰ってきた気がしない。新幹線に乗っている時間が
		いちばん短かったからかもしれない。あっと言う間であった。
		京都からは、いつも銀色のの鈍行で家へと向かった。
	
- 翌日から、何が起ころうかは予測がついたかつかなかったか
		よくわからなかったが、取りあえず、なんとか初めての遠くでの
		行事をなんとか終わらせることができて、ほっとした。
		先輩や、同学年の連れにはいろいろと迷惑をかけたけれども、
		ひとつのよい経験になったと感じた。
shacho@critical.ne.jp
Last modified: Mon Apr 22 08:27:00 JST 1996