What's 1997-03 [日記擬き1997年03月号]
 雑記
雑記
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        3月です。2日には琵琶湖毎日マラソンがありましたね。
        
        琵琶湖の水位はどうでしょう?
    
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        この時期になって、風邪をひいてしまいました。
        論文の修正版もなんとか提出しましたが、
        体に疲れが出てきたのかもしれません。
    
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        JR線はダイヤ改正しましたね。今朝は、朝から電車は石山駅で
        故障のため非常ブレーキがかかったままになり、
        電車が 4分遅れてしまいました。このため、バスが先に  
        発車してしまいました。
        仕方がないので、バスが国道の信号を待っている間に地下道を走って、
        次の停留所でバスを拾いました。なんだかなぁ‥‥。
    
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海本君のひとりごと日記Sは、
        とうとう 2月は一言も書かれることはありませんでした。
        一方、あっきーさんの後悔日誌も、
        修士論文の提出が終わってから、今日まで何も書かれていません。
        なんだか、とても寂しいです。
        最近は、私もここを書くのをさぼっていましたが、
        日記形式にせずに敢えてこういう格好にしておいたのは、
        あとから見ればあたかも空白期間がないように見せるためです。
        日記形式にすれば、必ず 3日で終わるわけですが、なんとか、おかげさまで
         1年以上続けることができました。何年かしてから、自分でこれを読んで、
        あぁ、懐かしい、なんて思うんでしょう。そんなわけで、
        みんなと、少しずつですが
        離れていくような気がします。この、What's NEW もあと 2週間ほどで
        更新はおわりです。長い間お世話になりました。 3月は別れの季節ですね。
        お馴染みの利き茶連では、
        初代メンバーで、あと少しでお別れということで、遊びに行ってきました。
        このことについて、このページでも紹介しています。
    
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        例の利き茶連のメンバーで、石山へボーリングへ行きました。
        相変わらず私は下手でしたが、なんとか平均で 100点を
        とれたので、いつも溝ばかり掃除していたころとくらべると
        ちょっとはマシになったのではないかなどと考えています。
        ちなみに、年甲斐もなく 6ゲームもやってしまったので、
        身体中が痛くて困っています。
	
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		卒業式の前に、後輩からご飯を食べに行こうといわれ、
		近所の料理屋へ鍋をつつきに行きました。
		閉店間際だったので、しらない間に倍の量の料理が
		出ていたらしくて、みんなおなかがいっぱいで
		動けなくなってしまいました。でも、結局全部食べましたね。
	
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		19日は卒業式でした。台湾からの留学生の人に、日曜日は
		国へ帰ります‥‥、といわれて、思わず涙が‥‥。
		やっぱり、泣いてしまいました。
	
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		卒業式のあとは、同窓会主催の歓迎会があったので、
		役員として出席しました。学部の卒業生が、気を利かせて
		食べるものを持ってきてくれました。ありがとう‥‥。で、
		受付で海老のテンプラくわえていました。ごめんなさい。
	
- 
		卒業式のあと、研究室でお別れ会をやってくれました。
		いよいよおしまいですね。ありがとうございました。
		お酒を飲んだあと、カラオケへ行ったら、
		歌い方が説明的だなどと言われてしまいました。
		そんなつもりはなかったのですが‥‥。
	
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		先日の利き茶連イベントでやりそこなった、
		電車でなんとかという電車運転シミュレータを実際に
		やってみたのですが、とんでもありません。
		ひと駅でリタイヤです。評価は30点です。
		電車は車と違って、動かすより止めるほうがずっと大変なんですね。
		私はやはり、運転するよりも時刻表をつくって
		公開しているほうが、向いているみたいです。やれやれ。
	
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		昼時、RINSの先生にさそわれて、焼肉を半額おごってもらって
		食べてきました。ありがとうございました。
		食べ放題だったので、またまた、おなかがパンクしそうになりました。
		ありがとうございます。
	
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		この、What's NEWも、とうとうおしまいになってしまいました。
		どうも、ご愛読ありがとうございました。
		また、このような機会があればよいと思っています。
		最初の目標は、1年間と3箇月で1,000になればと思っていたのですが、
		この数字を越えることができました(私が見た分は入ってません)。
		本当にありがとうございました。感謝しています。
		メールはときどき見ようと思いますので、
		何かございましたら声をおかけください。
 利き茶連イベント記
利き茶連イベント記
	-  3月 7日、あの利き茶連はなにをどう転んで
		こういうことをすることになったのかはわからないが、
		オープンしたばかりの大阪ドームの周辺を見物することになった。
	
- 集合は大阪駅に12時30分。起きてから集合までにかなり時間があるので
		テレビでも見てから来るわけであったが、『さんすうすいすい』
		のおねーさんが算数の国へ帰ってしまうということで、
		朝からちょっぴりブルー。 3月は別れの季節である。
	
- 定刻、大阪環状線のホームに利き茶連の 5人は揃った。私以外は
		みんな片手に雑誌か何かを持っており、ちょっとオタクな
		おにーさん風でちょっとイヤかな?
		ちなみに、私が片手に持っていたのは、紅茶グリーンから
		もらった『JR東西線便利情報』なるパンフレットだったりする。
	
- 目的地は大阪ドームであったが、まず来たのは関空快速。
		大正駅には停まらないので見送ったが、これは失敗だった。
		切符を大阪駅までしか持っていなかったので、若い女性車掌さんに
		切符を切ってもらうというチャンスを逃してしまった(おいおい)。
	
- ドームに着いたものの、はてさて、実際にすることがない。
		取りあえず、昼食を取ろうというわけであるが、これが徒労であった。
		SUB*AYなる店で、サンドイッチかホットドッグか、何かしら
		そのような類のものを頼んだわけであるが、これがまたややこしい。
		「パンのサイズは?」「どのようなパン生地にしますか?」
		「チーズいりますか?」「野菜はどれとどれを?」
		「調味料はいかがしましょ?」「お飲み物はお求めに?」
 いったい何が何やら、最近はサンドイッチひとつ食べるだけで
		こんなにものを苦労しなければいけないなんて、
		すっと適当にだしてくれりゃいいのにねぇ。
- この日は天気がよくて、あたたかかったので、外で食べることにした。
		適当に 5人程が食べられるスペースがあったので、そこに座って
		食べはじめたが、普通の椅子ではなかったので、なんとも座りにくい。
		ブラックはブルーとグリーンを連れて、30メートルほど離れた
		椅子のあるところに、私とパープルを残して去っていった。
		仲間割れ、といったところか‥‥。
		こんなので大丈夫か!?
	
- このあとは、定番と言うべきか、ゲーム・センターへと足を運んだ。
		別に遊園地、と言うほどのものではないけれども、ちょっとした
		企画もの的なコーナーがあって、みんながぜひそこへ行こうというので、
		しぶしぶついていくことにした。そうしたものが 5種類ほど
		あったわけであるが、結局そのうち 3つを体験することになった。
	
- ひとつは敵と味方に分かれて、射撃をするというものであった。
		利き茶連は 5人でるが、別で他の 4人といっしょであったので
		実際は 9人であるが、これがまぜこぜになって、利き茶連は
		ブルー・ブラック・私の 3人と、パープル・グリーンの 2人になった。
		ゲームの主人から、スタートと同時に「オー」とか
		掛け声をかけるようにと言われた。
		グリーンやパープルは、それぞれ「Tea-!!」とか「Chu-!!」とか
		叫んでいるのが聞こえた。
		そこで、私はためらってしまったのであるが、後の祭りであった。
		あとから、このことでブルーに散々おこられたのは言うまでもない。
		しかし、私はリーダーになるべき
		性格でもないのに、そんな無体なことを言われても困る。
		結局、こっちは人数が多かったのに、点数は少なかった。
		終わってからもらった結果の票に、
		「10,000点、パフォーマンス野郎」と書かれていた。
		なんのことだかさっぱりわからなかった。
	
- 2つめは、よくあるトリックのある絵を見てまわり、そこにある
		質問に答えるといったものだった。簡易な美術館と簡易な性格検査が
		ごっちゃになったようなもので、描かれている絵と、質問の内容は、
		一瞬関係がありそうな気がして、実は全然関係がなかったような気がした。
		で、そこで出てきた結果を見てびっくり。
		だいたい、それらしいことは書かれていたのであるが、
		一言で言うと、「天性のマインドコントローラー」とあった。
		悪いことはなにも書かれてはいなかったが、
		ヒトラーや麻○みたいに、根本のところであやまっていることで
		有名な人のほうがむしろ印象深いので、
		これを見て、あまりいい気がしなかった。
		ブルーのところには、「生まれながらにしてリーダー」とあった。
		さすがは、レッドからリーダーの座を奪っただけのことはある。
	
- こんなことで、出口でこんなことで大騒ぎしていたわけであるが、
		グリーンがなかなか出てこない。どうやら
		プリンタのジョブがおかしくなってしまったらしい。
		散々待たされた挙げ句、手に持っていたのは私と全く同じ伝票だった。
		どうやら、2部出てしまったらしい。受付へ行って、間違いのことを
		言ったのであるが、お名前は?
		と聞かれて「グリーンです‥‥。」
		結果見せてください。ということで、私も一言断わった。
		「これ、私のです、名前も、年齢もそうでしょ。」
		『ピンク・25歳』。
	
- ここで、店を後にしようとするわけであるが、お化け屋敷ではなくて、
		ホラールームというか、そんなものがあった。私は、そんなところは、
		怖くてとても入る気にならなかったが、
		そんなことを言ったわけでも何でもないのだが、
		ブラックが妙に喜んでしまって、結局 3つめとして、この
		恐ろしい部屋に入ることになった。中学生以下はご利用できません、
		なら、迷わずに逃げてしまったのであるが、小さなお子様は
		保護者の方とご一緒に、とあったので、しぶしぶブラックらを
		保護者に入ることにした。
		電気は消されて、
		ヘッド・ホンを耳にするわけであるが、コツコツという足音が、
		右へ行ったり左へ行ったり、よくできていた。
		そして、風が吹く音がすると、
		横の空調から不気味な生暖かい風が吹いてくるのであった。
		私はその気になって左右を見回すのだが、電気が消えているので
		誰も何も見えなかった。なにか怖いことがおこるといけないと
		思い、机にしがみついていたが、幸い、電気が消えていたので、
		メンバーにそれを気付かれることはなかった。内心ほっとした。
	
- 店を去るときに、もうひとつ、人間価格判定機なるものがあって、
		メンバーがどうしてもやれというので、やってみることにした。
		いくつかの質問があったが、どうやらそんなもので価値を判定できるような
		質問でもないような気がした。終わってから、「小切手、¥3,587,304※」
		なる紙切れが出てきて、驚いた。こんなものが先生にでも見つかったら、
		それこそ半額かそれ以下の値段で買い取られてしまうような気がする。
		このことはどうかご内密に。
	
- ここで、ドームを後にして、難波へ出ることにした。
		先程のお化け屋敷で足の震えが‥‥ということはない。
		ところが、なんてことだ。
		地下鉄の駅のトイレが工事で閉鎖されているではないか。
		こっちはホラー・ルームで散々な目にあっているのに、
		こんな時期に工事なんかしてもらってはそれこそ真っ青だ。
	
- 難波で喫茶店に入り、ここでお茶会ということになった。
		 5人でなんとパフェを食べる計画があったが、あまりに値が張るので
		取りあえずケーキのセットを頼んでおいたら、残りの 4人も
		同じものを頼んだらしい。ここで、例によって、取り留めもない話を
		ずっとしていたのであった。こうして、次に 5人揃って長い時間
		話ができるのはいつのことだろう‥‥。少し、寂しくなった。
		そう。 3月は別れの季節である。年に 1度でいいから、こういうことを
		また計画してほしい。
		グリーン、ブルー、ブラック、パープルにそう念を押した。
	
- 難波周辺で、また、ゲームセンターへ入った。そこには、昔懐かしい
		テレビゲームが置かれていて、中学校時分のことを少し
		思い出していた。あと、新着のところに、電車でなんとかという、
		電車運転のシミュレータ・ゲームがあった。
		ここでは人が多かったのでハンドルを握ることは
		避けたが、人がやるのを見ていて、なんてことだ。
		圧力計が 0になっている。これじゃ出発できませんよ。
		おまけに、ブレーキ緩めたときに、 205系が あたかも 201系みたいに
		シューシュー音をたてているし、これではいけません。
		作者はもっと精進してください。
		でも、やっぱりやっておきたかった‥‥。
	
- 夕食時、難波の飲み屋のあるところを少々うろついたが、
		結構、勧誘にしつこい人が多いことに気付く。うちはいくらで飲み会が
		できるから、とかいいながら、どこまでもついてくるので、
		無視していたら、それでもなおかつついてくるので、
		ブルーが一言、「酒は飲みません!!!!」と激怒したら、すごすごと
		去っていった。かなり体力も、特に胃が悪くなってきたので、
		なにも言う元気はなかった。体力が最悪のときには、大概
		そんなときに限って変なもの買わされたりとかありそうなので、
		充分気を付けたい。
	
- 結局、地下街で豚カツの定食を食べることにした。特にパープルは
		おなかがへっていたらしく、そんなものは一口か二口でぺろりと
		やってしまったわけであるが、こっちは胃の調子がどうもよくなくて、
		食べるのが多少仕事にさえ感じた。もう少しでいいので丈夫な胃が
		欲しいものだ。社会人になったら
		毎日命を削りながら働かないといけない。ストレスはためるべきではない。
		なんとかストレスをためないために、最近は特に、明るく振る舞うことで
		沈んでしまわないように心掛けている。
	
- 最後に、梅田まで戻ったわけであるが、時計は 9時をまわっていた。
		本屋ももう閉店だったので、家に帰ることにした。
		予備校時代、毎晩 9時まで自習室に残って勉強して、
		大阪駅から帰っていたことを
		思い出す。ブルーとパープルは滋賀まで帰るので、当時から記憶していた
		新快速の時間を言って、私は鈍行で帰った。しかし、よく考えてみると、
		言った時刻は予備校時代のものなので 6年も前のもので、 1年前に
		ダイヤが改正されていたのをすっかり忘れていて、どうやら彼らは
		あと一息のところで、 4両余分に増結された草津行きのガラガラの
		新快速を逃してしまったようだ。悪いことをした。
	
- 家へ帰って、することはあったが、何もせずに早々に寝ることに決めた。
		ちょうどとろとろしているときに、家のすぐ横の道をコツコツと
		音をたてながら人が歩いていったので、そのときに、なんとも
		言えない恐怖感に襲われた。なぜかはわからない。
	
- 翌朝、起きてみると、なぜか腕やら肩が痛い。たいして運動という運動は
		していない。やったと言えば、射撃とエアーホッケーをしたのと、
		あと、ホラー・ルームで机にしがみついていたくらいか。
		おまけに、射撃の「パフォーマンス野郎」、
		心理テストの「天性のマインドコントローラー」、
		そして、例の小切手「¥3,587,304※」
		といったものが手元に残った。
		なんとも後味が悪い。
shacho@critical.ne.jp
Last modified: Thu Mar 27 18:15:30 JST 1997