I.C.KaZe

自己紹介のページらしいです

1974年3月4日
京都生まれの滋賀育ち

音楽には全然興味がなかったが
中学2年時に1000円のカセットプレーヤーを購入して
アポロン販売の「沙羅曼蛇」「グラディウス2」「WEC LE MANS 24」を聞きまくる
更に周囲がラジカセを自慢したりするので
当時、パソコンサンデーを見て洗脳されていたシャープの「ツインカムCDラジカセ」を購入
と、同時に何かCDをと言う事で「セガ体感ゲームミュージックスペシャル」を購入し
初っ端の音からして人生を狂わされ、更に2枚目に買った「Ys」が決定打
以降、ゲームミュージック作曲家を目指す
(とは言ってもパソコンがMZ-700とMZ-2200しかなかったので
 中学時代はベーマガの記事を見ながらMMLを覚えるだけに留まる)

「ギャラクシーフォース」のCDに収録されている「サンダーブレード」を聞いて
ベースに大ハマリ!
バンドをやっていた従兄弟に頼んでベースを購入
CD丸々1枚を追えるだけ追うとか言う形で練習してたが
個人的な範囲に終わる

高校入学と同時に「ヴェイグス」が最も高速に動く&「ソーサリアン」がステレオで聞ける
周囲でのユーザが多そうと言う事でX68Kではなく88VA2を親に買ってもらい
早速BASICのMMLで曲を作り出す

高校には科学部がないという珍しいところでどうしようかと思ったところ
作品が非常に面白かったのもあり、隣りの軽音楽が気になりつつも
文芸部に入部
言葉での遊び具合は曲作るのと同じ

その後すぎやまこういち監修の音楽ソフトFormulaC.M.S.を購入し
やっとPCMを使ったまともな曲を作り出す
音楽的な知識は全くないが小学校3年の時に習っていたエレクトーンの練習で
ドミソ(ド)⇒ドファラ(ファ)⇒ シレソ(シ)⇒ドミソ(ド)
という、循環コードの練習をわけがわからないまま練習させられていたので
その時の感覚と、曲聞きながら譜面見て覚えたものだけで作成
以後、夜は曲作って学校で寝る生活

更に大阪パソケへ進出して音楽ディスクを買いまくりPMD88の存在を知る
後にFirecrackerへ投稿開始

高校卒業後、しんどい思いをして大学へ行く必要性も見出せなかったので
学校紹介で来ていた事もあって面白いやつが集まりそうな京都コンピュータ学校へ進学

ここのSysOpであるNYMにパソコン通信の世界と
X68Kで演奏されるPCM使いまくりのMDX音楽をMMDSP上で見せられて感激し
ゲーセンでバイトしてPCM8チャンネル使っても重くならないX68K XVI購入

X68Kで作業を試みるがPMD88と比べてMDXの機能のへぼさに
結局すぐにはMDXヘ移行せずにしばらくはPMD88で作曲していたが
作業中にフロッピーが壊れてデータが消えたのを機会にMDXへ完全に転向

同人ゲームの作曲担当等をしたりしてちょっとした売名行為に勤しんでみたりするが
卒業していざ、就職する頃になって周りを見てみると
既に業界からFM音源は消えてMIDI中心になっており
Roland、SC系の音源はへぼすぎて買う気にならかったためにMIDIについて全く知らず挫折

カプコンを受けてみてデモテープは通ったが
面接時の話でどうも効果音を担当させられそうな感じもあったため気合が入らず落ちる

コナミも受けてみて説明会中にコナミの曲とか作詞作曲して
自己アピール欄にMMLで書いてみたが
不合格通知もよこしやがらねぇ

アーケードの曲しかやる気がなく、関西でと言うとこの2社しかなく
結局どうするでもなくぶらぶらしているところを
今の師匠にプログラム勉強しないかと誘われ
更に、調度、楠桂さんのコミック「愛はかく語りき」に収録されている
「RIDDLE」を読み、特に”才能ある人なら今から道開いてるわよ”
って一文で作曲家を諦める


その後は手伝いと言うか見学と言うような感じで仕事先に行っていたら
C言語知らないのに無理矢理にプログラム書かされ始めて
いつのまにやらプログラマに…

その程度なのでハードの知識とかタイミングについては全然知らないし
最初からシステム組めないので手伝い程度に留まります

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更新2001/05/03ダヨ